プレス発表:平成25年6月17日

覚醒時の経験が、その後の眠気に大きな影響を及ぼすことを立証

 

研究成果のポイント

 
1. 一般的に、起きている時間が長くなると睡眠デマンドが高まり、さらに眠気が増すため、睡眠デマンドと眠気*1は単純な正の相関があるように考えられてきた。ところが、これらの関係性についての詳細な実験的研究はこれまでなされていなかった。
 
2. 眠気と睡眠デマンドは、独立して制御され得ることを発見した。
 
3. さらに、脳のリン酸化蛋白質プロテオーム解析*2により、これらの行動学的パラメータの変化と相関のある生化学的マーカーを発見した。
 
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国立大学法人筑波大学【学長永田恭介】(以下「筑波大学」という)国際統合睡眠医科学研究機構(International Institute for Integrative Sleep Medicine, IIIS)【機構長柳沢正史】柳沢正史教授らの研究グループは、異なる2つの方法で睡眠を6時間妨げたマウスを用いた実験により、眠気(眠りへの落ちやすさ)と睡眠デマンド(深い眠りへの入りやすさ)は必ずしも相関せず、それぞれ独立に制御されていること、眠気は起きている間の様々な経験により変動することを立証しました。さらに、リン酸化プロテオーム解析により、眠気と睡眠デマンドにそれぞれ相関する中枢神経系の生化学的指標を同定することに成功しました。
これらの発見は、恒常的に必要な眠りの量が同程度となる条件下でも、睡眠前の覚醒時の様々な経験によって、“眠気”に多大な影響を及ぼすことを示唆しています。このような、我々が日常的に経験しうる明らかな現象が、現在まで、ヒトにおいても実験モデル動物においても行動科学的レベルで系統的に検証されてこなかったということは、驚くべきことです。眠気というものがどのように制御されているか、という神経科学分野の大きな根本的な謎に対して、本研究は重要な知見を与えるものです。
本研究は、米国University of Texas southwestern Medical Centerの鈴木綾子、Christopher M.Sinton, Robert W. Greene(IIISと兼務)らとの共同研究で、アメリカの米国科学アカデミー発行のPNAS誌2013年6月18日25号に掲載されます。
 
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研究の背景

 
睡眠覚醒は、近過去の睡眠履歴による「ホメオスタシス制御」(例:徹夜明け)により、個体の生理的必要性に合わせ精密に制御されています。さらには、体内時計による「サーカディアン制御」(例:時差ぼけ)および、覚醒経験による環境的な影響によっても制御されます。一般に、直前の覚醒時間が長いほど、眠りに落ちるのに要する時間(睡眠潜時)が短くなり(すなわち眠気が強い)、またより「深い」睡眠に入りやすい(すなわち睡眠デマンドが高い)ことが知られています。しかしながら、覚醒中の経験の質が、その後の眠気や睡眠デマンドにどのように影響を及ぼすか、その詳細は謎のままでした。
 

研究内容と成果

 
本研究では、脳波に反映される睡眠デマンドが同程度であるマウス個体でも、眠気の程度は大きく異なり得ると考えました。この仮説を立証するために、
 ① 眠ろうとするマウスに穏やかに触れて睡眠を邪魔する(Gentle handling*3、嫌々起きている状態)、
 ② 1時間毎にケージ交換を行って新しい環境を探索させ自発的な覚醒を惹起する(自発的に起きている状態)、
という2つの方法で、明期の始め、すなわちマウスが通常最も良く眠る時間帯に、6時間にわたりほぼ完全に断眠させました。両グループのマウスは、同程度の睡眠不足の状態に陥っており、断眠終了後のノンレム睡眠中の脳波低周波成分*4は、同程度に増加していました。(図A)
つまりこれらのマウスは断眠後、同程度の睡眠デマンドの増加を示していました。
にもかかわらず、ケージ交換により断眠されたマウスの方が、穏やかな接触によって断眠されたマウスと比較して、その後眠りに落ちるまでに長時間を要しました。(図B)
すなわち「眠気」の程度が遙かに低かったのです。
さらに、脳におけるリン酸化蛋白質のプロテオーム解析により、これらの行動学的指標(睡眠デマンドと眠気)にそれぞれ連関する2つの新しい生化学的マーカーが見つかりました。
1つは、dynamin1と呼ばれる神経細胞のシナプス前突起に局在する蛋白質であり、もう一つは、N-myc制御遺伝子2(NDRG2)として知られるグリア細胞*5蛋白質です。dynamin1はマウスの眠気(睡眠潜時*6)、NDRG2は睡眠デマンド(ノンレム睡眠中の脳波低周波成分)の程度に応じて、それぞれリン酸化レベルが変動していました。この発見により、直前の覚醒経験の質が、眠気の程度、また眠りにつくまでに要する時間に対して、顕著な影響を及ぼしていることが示唆されました。
本研究成果は、不眠症などの睡眠障害に関連しても重要な知見となり得ると期待されます。
 

今後の展開

 
睡眠は極めて身近な現象であるにも関わらず、その制御機構はまだ謎に包まれています。今後は、今回発見した生化学的マーカーの詳細な解析を進めていくとともに、覚醒時の経験の質が、例えば記憶の固着化などの睡眠の機能にどのような影響を及ぼし得るか調べてゆく予定です。
本研究は、柳沢への内閣府/日本学術振興会・最先端研究開発支援(FIRST)プログラム、Perot family foundation、およびGreene教授へのNoA、アメリカ合衆国退役軍人省の支援を受けています。国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)は、文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)により支援を受け、設立されました。
 

参考図

 
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用語解説

 
※1 睡眠デマンドと眠気
 睡眠デマンドとは、必ずしも自覚的ではなく、脳がどの程度睡眠を必要としているか。デマンドのレベルは、ノンレム睡眠中の脳波の低周波成分の量から推測できる。眠気とは、自覚的にどの程度眠たいと感じるか。眠気の程度は、眠りへの落ちるまでの時間(睡眠潜時)で測定する。
 
※2 リン酸化蛋白質プロテオーム解析
 タンパク質の翻訳後修飾のうち、リン酸化は特に重要な要素である。プロテオーム解析により、眠気や睡眠デマンドの程度によるタンパク質のリン酸化レベルの変化についての情報を一度に得ることができる。
 
※3 Gentle handling
マウスが眠りに入ろうとする際に、ケージを静かに叩いたり動物に穏やかに触れることで、眠りを妨げる手法。
 
※4 ノンレム睡眠中の脳波低周波成分
ノンレム睡眠に特徴的な脳波の低周波成分の強さ。その時点での睡眠デマンドの、最も信頼できる指標である。
 
※5 グリア細胞
神経系を構成する神経細胞ではない支持細胞。近年、構造や代謝の維持だけではなく、神経活動の調節にも関与していることが明らかとなってきた。
 
※6 睡眠潜時
その時点での「眠気」の強さを示す直接的指標。Multiple sleep latency test (MSLT)によって、眠りに落ちるまでの時間を測定する。
 

掲載論文

 
“Behavioral and biochemical dissociation of arousal and homeostatic sleep need influenced by prior wakeful experience in mice”
論文題名(和訳): 直前の覚醒時経験の質による睡眠デマンドと眠気の行動学的・生化学的解離
著者: 鈴木 綾子, Christopher M Sinton, Robert W Green, 柳沢 正史
発行日: Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS誌)2013年6月18日25号
 

問合わせ先

 
柳沢 正史(やなぎさわ まさし)
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 機構長 / 教授